3000文字チャレンジ。
好きは好きなんです。
書き始めると止まらないんですよね。何も考えず好きなことだけ書けるって3000文字でしか経験できないですよ。
でも、なんだかんだ言って3000文字も書くのってしんどいじゃないですか?
なので参加するのは2回目、しかも一応最終回という。
今までゆるーく関わってきましたが、今回書いてみることにしました。
というか、書きたくて仕方ない!この気持ちどこかにぶつけたい!ということで参加します。
きっかけは、もたろうさんの「昭和生まれの奴ちょっと来い」ですね。
「はーい!」とのこのこ出て行ったら、返り討ちに遭いましてね。重症です。というか100回くらい殺されてますね。もたろうさんの頭の中で。ごめんなさい。
でも、やられっぱなしは癪なので、何とか生き返って応戦しますよ。
ということでこれを書いています。
さて、お題は平成。
あー、残念ながら昭和ではないですね。昭和のあれやこれや書きたかったのに~。
お題が平成なので仕方ないので平成の話をしましょう。
時代が昭和から平成に移った時私は中学生でした。
もういい年齢なのであの時のことははっきりと覚えています。
体育館に集められてなにやら大事なお話を聞きました。玉音放送じゃないですよ。その辺ごっちゃになってるみたいですからね、平成生まれの人は(失敬)。
普段はヤンキーが暴れまくってる学校だったのですが、その時ばかりは体育館全体がしーーーーんとしていましたね。何とも言えない空気感。
あんなに澄んだそして重く冷たい空気をあれ以来感じたことはありません。
自粛・崩御・不謹慎・大喪の礼
など、気が重くなるワードが並んだあの時期、本当に特別でした。
テレビはもちろんカラーテレビだったのですが、なぜか白黒に見えるんですよね。記憶の中でもあの時期のテレビ番組は白黒です。
あの重苦しい雰囲気に色を失ってしまったのでしょうね。
昭和生まれの人がついつい、「平成生まれは」と言ってしまうのはもしかしたらこの経験の影響があるのではないでしょうか。
なんだかんだ言ってものすごいショックを受けたので、それを知らない新しい時代を生きる人多たちへの羨望かな?
そして、あの時代を知っていることの連帯感を深めて平成生まれの人を排除していることも確かにあるかもしれない。
無意識とはいえそれを敏感に感じ取る人がいるということを想像できない浅はかさがあるのは間違いないでしょう。
まあ、そんなこんなで幕を開けた平成を見ていきましょう。
元号が平成になっても学校ではヤンキーが暴れまくっていました。
ヤンキーが暴れているために休み時間に廊下に出られないこともありました。理不尽。
ヤンキーもひどかったけど、教師も本当にひどかったです。
迷惑をかけまくっているヤンキーには甘いのに、普通の生徒にはめちゃくちゃ厳しかったのは今でも意味がわからない。
ヤンキーが窓割ったり、消火器ぶちまけたり、非常ベルを押しまくったりしても注意するだけなのに、普通の生徒が休み時間にトランプ(花札ではない、大統領でもない)やっただけで平手打ちくらわすのは本当に意味わからない。誰にも迷惑かけてないのに。
その理由が
「俺たちがお前たちのために働いてる時になんで遊んでるんだ!!」
というのもさらに謎が深まるばかりです。
うーん、でも文句を言っても仕方ないのでそんなものかと受け入れました。
ヤンキー中学をやっとの思いで卒業して、平穏な高校生活へと入っていきます。
当時の高校生はとても地味であまり注目されることはありませんでした。
というのも女子大生ブームが真っ盛りで、きれいなお姉さま方が注目されていたのです。
そんな目立ちたがり屋でもなかった私ですが、それでも大学生になったらちょっとはちやほやされちゃう?なんてちょっぴり、ええ、ちょっとだけ期待して受験勉強に励みました。
そこでぶち当たった壁が受験戦争です。
当時は大学定員よりはるかに受験生の数が多く、どこでもいい!といってもなかなか大学に合格するのは難しかった時代です。
二人に一人は浪人すると言われていました。
BF(ボーダーフリー)なんて存在しません。
そもそも予備校に入るのも大変で、高校生は代ゼミなどの大手予備校の人気のある先生の授業を受けることはできませんでした。(人気のある先生は平日の昼間授業をしていたので)
夏期講習なども抽選になる授業もありましたよ。予備校に入るだけでもう大変。
さらに、女子は短大でいい!なんて言われ続けましたかね。無視しましたが。(4年制大学に受かっちゃったから仕方ない。学費お願い作戦)
これも仕方ない。勉強するだけです。
まあ、そんなこんなでなんとか大学生になることができました。ホッとしたのもつかの間。
やって来ました、女子高生ブーム!!!!
このインパクトはすごかった。
ミニスカ、ルーズソックスで謎の言葉を操る女子高生にみんな釘付けでした。
私の高校生活と言えばちょっとだけ短いスカートとちょっとだけルーズなクシュっとした靴下をはいていました。何とも中途半端。まさに移行期。
残念ながら大学生はまったく注目されず、女子高生に「おばさん」と虐げらるのでした。トホホ。
まあ、大学に行ったのは(一応)勉強するためなのでそれなりのキャンパスライフがスタートするわけですが、アルバイトを探すために求人冊子を広げていた私に先輩が言った一言が忘れられません。
「雑誌、薄いね。私たちの頃は倍はあったよ。あれ?時給低いね~」
そうです、バブル崩壊の足音が遠くからでもはっきりと聞こえてきたそんな瞬間でした。
短大卒の友達が滑り込みでサクッと就職を決めたその2年後やってきたのは就職氷河期です。
就職氷河期については皆さん知っての通りです。
なんでこんな目に?としか思えなかったですね。
何とか就職しても、職場環境は悪くなるばかりでした。
それまで5人でやっていた仕事を3人で任されたり、ボーナスが前年の半分になったりと踏んだり蹴ったりです。
労働意欲が全然湧きませんでした。
仕方ないです。諦めます。
その後、結婚して普通の結婚生活に入ります。やる気ないので専業主婦です。
そんな結婚生活に転機が訪れます、夫の昇進&栄転が決まったのです。
それほど労働意欲のない夫は面倒に思っていたようですが、私はめちゃくちゃ嬉しかったです。引っ越しも伴うのでいろいろと準備をしていましたが・・・
リーマンショック!
当然ながら昇進&栄転の話はなくなり、かわりにリストラの話が持ち上がります。
リストラはされませんでしたが、管理職に昇進(?)。
定額働かせ放題の始まりです。
基本給が数千円上がって、数万円の残業代がカットされました。
それでも、職を失うよりもいいのかもと思ってなんとなく受け入れました。
その後もなんとなーく暮らして令和目前です。
そんな時、与えられた役割は
人生再設計第一世代
意味わかんない。もう、やる気0なので再設計なんてする気ありません。
このままダラダラと余生を過ごすのみですからね!
こんなことを書いたのは平成生まれの人に
「昭和生まれの人ってかわいそうね。いたわってあげなちゃ!」
と思わせるためではありません。
あえて負の部分に焦点を合わせて面白がっているだけですので、心配は無用です。
もちろん私の平成時代にも素晴らしい経験や輝かしい青春の1ページもあるはずです。
たぶん、きっと、えーーーっと、ちょっと考えれば出てくるはずです。
・・・3日間くれますか?